たいへんごぶさたいたしておりました

akrh2007-11-20

仕事の仕方をかなり変えた。
その結果、このダイアリーとやらも書けないほどのバタバタである。酒量も嵩んでいる。
そうこうするうちにまたしても僕のライブラリーに新たないちページが加わろうとしているではありませんか。
逢坂剛センセイですよ。逢坂剛センセイ。
『イベリアの雷鳴』読んだ。
『スペイン内戦写真集』(逢坂剛監修)というものの方と10年以上前に出会ってはいたものの、その作品の方は、とんと手に取る気がしなかった。
そこで、満を持しての、ヨーロッパ戦時諜報モノですよ。
船戸与一センセイなくしては逢坂剛センセイも生まれえなかったというほど、船戸与一の登場は日本の冒険小説を揺籃したらしいが、なるほど。
乱暴ものばかりがうじゃうじゃ出てきて全員死ぬ船戸モノと比べると、そのほどよい知的さ加減が絶妙に心地よくて、久しぶりに熱狂的に読み進んだ。
第二次世界大戦史のおさらいというか、新発見もふんだんにできる。
ところが、嗚呼、何とまたしても、500ページ近い長編のラスト30ページになっても、結末が見えてこない。
船戸センセイと同じように、ラストのラストにすごいスピードで全員抹殺するつもりかというとそうでもない。
ドカンと何かが起こるのかというと、そのようでいてそうでもない。
これはものすごい竜頭蛇尾小説なのではないか(船戸センセイから煮え湯を呑まされた経験あり)、という懸念がラスト10ページで頭をもたげ、ああ果たせるかな、読み終わってからそれを確認した。
日本、ペルー、英国、ドイツ、スペインの諜報員やら軍部やら地下組織やら反主流派が入り乱れて、この結末とは。
この次は『カディスの赤い星』にしよう。逢坂センセイは当たり外れのある小説家さんなのだということを、承知しておこう。
以上で、久しぶりのダイアリー復帰初日の読書感想文は終りだ。

夏なのに雪国

akrh2007-08-25

いかに量産の船戸センセイといえども、さすがに持ち駒がなくなってきた。
それで下川裕治バンコクものとかに手を出したりして。
そうすると、トラベルライターの禁じ手というか教訓というか、読んでいて考えさせられる個所も見えてきたりして。
そう、むろん僕自身がそこに陥っている可能性も大であるからして、批判というよりも自らに課す教訓なのである。
いちばん大きいのは、「この国の人たちはこうだ」と十把一からげにジャッジしてしまう態度だろう。
読者というのは、とくにトラベルライティングの場合は読者というより旅行者である場合があり、そうすると一言で言ってもらいたがる傾向を否めない。
ああでもないこうでもないなんて言うとまどろっこしがられるのがオチで、何が言いたいのかわかんないなどという感想をもたれてしまうのである。だが事実は、ああでもなくこうでもないのである。あるいは、ああでもありそうでもある。
それでは本にならないので、できるだけ単純化して言うことを求められる。ひどい場合には、一言で言ってしまうことを求められる。その方がウケる。困った時代になったものである。
それと現地の人のことを見下しているのではないかというところかな。G8の遊び人が途上国を旅すると、どうして日本のようにいかないのか、とイライラすることがある。ショートカットして先進国流のソリューションを提供したい気持ちにもなるだろう。しかし、先進国が途上国に置いてけぼりにしてきたものは戦争や紛争であり、低開発である。
トラベルライターにとって、旅先はメシのたねではない。師匠である。その点を教訓としなければと、めったに旅モノを書いていない僕も気持ちを新たにしたものだ。
さて、
そんなバンコクの古本屋で『古都』を見つけて読んだのは何年前だったか。
この度は、宿河原の古本屋がとうとう店仕舞いするというので、半額になった『雪国』をそういえば読んでいなかったと買って読む。
えっ、こんなアダルトな物語なのと驚きつつも、川端センセイの繊細な感性には敬服致しました。
夏の終りに川端センセイなんて、高校生のような読書である。

ローカル飲料

akrh2007-08-10

ファミリーマートでドクター・ペッパーが新製品として販売されていて驚いた。おまけにコカコーラのブランドとして売られているというのだ。
かつてドクター・ペッパーを飲んだのはいつごろ、どのあたりだったか記憶が定かではないが、初めて口にしたとき、「これはミスター・ピブではないか」と愕然とした記憶はある。そしてそのミスター・ピブを飲んだのは広島でだった。
ときを経て、今度は札幌で、ガラナという飲料を飲んだときも、「これはミスター・ピブではないか」と思ったように感じているが、それには確信が持てない。
つまり、ミスター・ピブ≒ドクター・ペッパー≒ガラナというやんわりとしたトライアングルが僕の頭の中には形成されている。
しかしそれがこの度は東京であり(まあ川崎だけど)、さらにはコカコーラである。
MAXコーヒーがジョージアに取り込まれたように見えながら実は逆に取り込み、そして千葉から東京へと全国制覇の一歩を着実に踏み出したときと似た感覚を、僕は得たのだった。

船戸与一また

akrh2007-08-01

ふなとよいちではない。ふなどよいちである。
『流沙の塔』上下巻も瞬く間に読了。
僕には昔から、美味しいと思ったらそればっかり喰う習慣があった。
摂食障害の子どもに「ばっか食い」という、そればっか食う症状があるというが、僕も十分それだ。
札幌のサミダのカレー、吉牛、とんかついもや…。
それが読書でもそれだ。
しかし、短期間に単一の著者の作品ばかりを読むと、さすがにこちらも癖や弱点を見抜いてしまい、何となく興醒めして離れる、というのが一般的だ。
船戸センセイはねー、ネタばれしないように言うとすると、ご都合主義が何となく見隠れするかなあと思わないでもない。
長篇サスペンスのラストがどれも似たり寄ったりというのが気になるのだよ。
ラスト20ページぐらいになってもまだ登場人物が全員生き残っていたりすると、センセイいくら何でも20ページで全員というのは手っ取り早すぎるでしょう、と言いたくもなるのである。
ああネタばれの感想を。
さて、
近所の、地元唯一の古書店がいよいよ「全品半額セール」を始めた。
理髪店、靴屋、スナック、キオスク、みどりの窓口ときて、今度はついに古書店なのだろうか。
それはかつてなくダメージが大きい。

今年もブレ−ミアが

akrh2007-07-28

2週間も前のことになるが、ともだちの合唱団ブレーミアが今年も大阪からやってきて、MANDALA2に出るというので行く。
2年ぶり2度めだ。
個人的にこの時期、バンコクへの片道切符の期限切れが迫っており、思い切って使っとこうかな、つまりブレ−ミアのコンサートは今年も欠礼させていただこうかなと思っていたのだが、行く。バンコクへではなく、コンサートに、行く。
したがってバンコクへの片道切符は期限切れで流してしまう。精神的にへなっていて、旅などできない心持ちであったと言っておこう。
そんなときにともだち合唱団が来たので、聴く。
歌はいい。歌の力は、言葉の力を信じてはいない僕にも少し、わかる。
また田川律もゲストで、出る。
またインターナショナルを関西弁で、歌う。いや、待て、関西弁ではなかったような、どこ方言だったか思い出せない。
いろいろなことが思い出せない。精神的にヘなっているのだ。
へなりつづきですよ。

ウルリッヒ・ミューエ死す

akrh2007-07-27

東独出身の俳優、ウルリッヒ・ミューエが死んだ。
思えば「善き人のためのソナタ」を観たのが3月なのであり、死んだのが7月である。
短い付き合いであったことよ。
そうなると、転向した秘密警察官という役のイメージだけが彼に残ることになる。
さあ、そこで、東独時代に彼を監視していたとされて当人はそれを否定している彼の妻はどう思ったか。
そういうエピソードがあるからこそ、朝日の訃報は写真入りだったのだ。
ドイツ現代史の闇からこちらを覗いているような、ミョーな雰囲気を醸し出す俳優だった、と思う。

船戸与一ふたたび

akrh2007-07-10

船戸与一の季節がふたたびめぐってきた。
十年以上ぶりで下北沢通いが復活しているのだが、当地の幻游社で『伝説なき地』上下巻を入手してきたのである。
蝦夷地別件』ではそのストーリーテリングに舌を巻いたが、ここでもさすがの饒舌さだ。
ただ、蝦夷地のときのような抒情性がないというか、徹底した暴力につぐ暴力で、少々食傷するのである。
上巻を読み終わって、蝦夷地別件のような次の展開の意外さがなく、ああこのまま暴力が続くんだな、読者を惹き付けるためには暴力をエスカレートさせていくしかないんだな、そう単純だと面白くないな、という予感が脳裏をかすめるのである。
そこで、下巻に取りかかろうとして、オビに目をやると…。
「聖女マリアと魔女ベロニカの運命の邂逅は血の殺戮劇を破局へと誘ってゆく」
おお、まただよ。
華麗なる一族』は新潮文庫だったけど、この度の講談社文庫にもネタばれの紹介文を書く編集者がいたとは。
この一文で、500頁近い下巻の4分の3は語られてしまったのではないかな。
作者が悶え苦しみながら編み出したのかもしれない展開を、ええ、一文で、はい、ものの見事に。
手に汗にぎるストーリーものの紹介文というのはねー、取っ掛かりだけを書くものなんですよ。
それとストーリーのカギを暴露しちゃっちゃあダメなんですよ。
取っ掛かりだけを書いて引き込むのがあなたの仕事じゃあないですか。
どんな勘の鈍い読者でも、ここまで示唆されればねー、マリアとベロニカの関係は察しますよ。
ここでも、紹介文で示された展開を確認していくだけの愚鈍な読者という役まわりじゃないですか。
たいへんだね。文芸編集者って。