例のコード

akrh2007-01-15

ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン)読み終わり。
たいへんに不評だった映画の方は、ブータンから帰ってくるときの台北-成田の機内でオンデマンドで見始めたはいいが、見始めたタイミングが悪く、なんと着陸までに見終えることができなかったという因縁のミステリーである。
映画が先で本が後になったものだから、読んでいても主人公のトム・ハンクスと、フランス人暗号解読官オドレイ・トゥトゥがずっと頭の中で演技することになる。
これが相当な違和感であった。
トム・ハンクスはまあ致し方ないとしても、オドレイ・トゥトゥはあの天然の乙女、「アメリ」さんである。キレ者の暗号解読官で、相当な美女という設定には無理がある。
訳者は本書の魅力を、ふんだんに蘊蓄が語られるところと断言しているが、ストーリーの展開をせき止めて語られる蘊蓄がどうにも歯痒く、かなりうんざりしたのも事実である。
せいぜいが2日間程度の時間の流れを3分冊にも膨らませられたのも、延々といくらでも語られ続ける蘊蓄のせいである。
蘊蓄で、前提となる知識を次々と注入しながらでないと次の展開に進めないので、登場人物は百科事典の棒読みのようなセリフを自作自演調に語り合うはめになる。
博識なのはわかったから先に進もうよ、と言いたくもなるのである。
読み終えて、やはりベストセラーには手を出すな、と自分に言い聞かせたよ。