「日本の悪霊」読了

akrh2010-02-18

Twitterで呟くのでブログの更新が滞る。
みなさん、Twitterにはどうでもいい「なう」ばかりを、ブログにはそれなりにまとまった書き込みをしているらしい。
僕の場合はTwitterも140字以内とはいえそれなりに構えて書くのでブログに書き込む余力がなくなる。それが今後の課題だ。
さて、
高橋和巳『日本の悪霊』読了。小説的には成功しているのかどうかよくわからないが、言葉の緻密さ、表現の奥深さで高橋和巳に比肩しうる現役の作家はいるまい、と思う。奥泉光がいるかなと思い浮かぶ程度である。
描かれているのは1960年の話だが、もちろん1950年代の革命運動の分裂をこれでもかというくらい高橋的に浮き彫りにしている。一言で言うとドロドロでぐちゃぐちゃ。そういう時代だったんだという理解をこの小説によって今度こそさせられたよ。
巻末には三島由紀夫との対談が載っている。これもすごい。対談は「潮」という雑誌に載ったらしい。同誌が高橋と三島の対談を掲載する時代だったんだなと思う、1969年とは。三島の死の前年。高橋の死の前々年である。
個人的には高橋和巳の季節到来。アマゾンや古書店で高橋和巳を漁っている、かつては高橋和巳ブームというのがあり、河出からは作品集も出ているが、今の人には高橋和巳の小説に描かれた世界はまったく理解できまい。1970年代ぐらいまでは何となく共有できていたバックボーンが今は影も形も存在しないのだから。Amazonで1円って、そりゃあんまりですよ。
すぐに垣根涼介『ワイルド・ソウル』読み始め。政治的小説とハードボイルドを交互に読むのがよろしいのだ。

24の季節終了

akrh2010-01-31

そこで一句。

二十四夜照らすや医家も別邸も


24のシーズン7を観終えて空しい気持ちでいるところだったが、日テレでドクターハウスが、NHKでアグリーベティが放送されているではないか。私の心は月夜のように清涼であることよ。

ああ、終わった。
シーズン8の制作は現段階では未定で、FOXは「人気のあるうちにやめたい」と考えているらしい。そのべきでしょう。シーズン7もまた突っ込みどころ満載だが、ここで突っ込んでも空しいのでしない。ひとことで言うともう面白くない。そのべきでしょう。
アメリカ合衆国のTVをを救ったカナダ人サザーランドよご苦労様でした。
今月はひと月に満月二夜。ブルームーンというらしい。

なうって

akrh2010-01-27

今〜している、というのを、なうと言うらしい。
twitterで「下北沢で飲酒中」と書いたのは、「下北沢で飲酒なう」と書くらしい。
でも書かないな。書けないよ。
抵抗して抵抗して、そしていつの間にか誰にも気づかれずに取り込まれていたというパターンで今回も、どうぞ。

twitterはじめましたが

ツイートする、つまりつぶやきばやりで、どうでしょう。
twitter始めました。IDは秘密です。
だけど、つぶやいてみましょうと言われてつぶやきますか、ふつう。
つぶやきというのは通常、つい出てしまうものである。
それが、つぶやいて下さいと言われてつぶやくのがこんなにストレスフルだとは思わなかった。
でも、つぶやいた。

『模倣犯』読了(ネタばれあり個人の責任で読まれたし)

akrh2010-01-17

模倣犯』(宮部みゆき)読了。
文庫で5巻。この人の小説は『理由』以来である。
文体に特徴はないが、スタイルはすこぶる特徴がある。すなわち、饒舌と長口上。
つまり、この小説に込められたメッセージは1冊に凝縮するのが妥当だ。連載3年とか、加筆2年とかにはさして意味はない。
長編作家というのは難しい。僕の知る長編作家とは船戸与一宮部みゆきということになるのかもしれないが、宮部みゆきは枝葉末節的なエピソードでも数ページは費やす。取るに足らない端役を描くのに生い立ちから説き起こさんんばかりというのはどうか。
楽しんだんだろう、いいじゃないか、というのはナシだ。
5巻の9割5分をそのように進行させていながら、それでいてラスト5分での異常な端折り方。
それと種明かしが、追い詰められての真犯人の告白って安直だと思いますよ。
最大の難敵が不条理にも大急ぎで自滅していくのを読まされる身にもなってくださいよ。
長編作家というのは難しい。
いつもこの、幕引きに不満が残る。
船戸与一にも不満はあるが、不満の度合いは宮部の方が上だった。

高橋和巳『日本の悪霊』読み始め。

年があらたまって何を思うのか

akrh2010-01-10

「年末は…」
と言ったまま、はーっとため息をつきたくなるほど、年末は飲酒に明け暮れてしまいました。
しばらくは胃腸も不調でした。
肝臓はもの言わぬ臓器でどこにあるかも知らないが、このときばかりはどこにあるのかわかる気がしました。肝臓からの悲鳴が聞こえたからです。
大晦日は下北沢で越年したのです。
年末はその1年前もほぼ同じ行動をとったことを考えると、進歩のない自分に恥じ入っていることを告白しなければなりません。
昨年の低迷を克服すべく、神社仏閣に詣でて、前へ前へ上へ上へと上昇志向を持つことも隠さず、決意に満ち満ちた新年の抱負を書きゾメて、何でもかんでもすべてうまくいき、他人の酒だろうと目の前のものは呑む、そんな勢いが求められるところですが、年始もその1年前とほぼ同じ行動をとってしまいました。
じゅうねんいちじつとはこのことか。
年があらたまって何か思うかというと、思わない。これはもう、あえて思わない。
しかし、思わないでいると、ずるずると思いそびれる。
今年もこのまま年末を迎えるのか。
いえ、旧正月までには、何か悪いことを考えておきます。

ミリオンダラー・ホテル→17歳のカルテ

akrh2009-12-21

録画してあった「ミリオンダラー・ホテル」を観ていて、観終わらないうちに出かけ、帰宅して今度は「17歳のカルテ」を観、「ミリオンダラー・ホテル」も続けて観終えた。
この2本が連続したのは偶然だ。
安ホテルを舞台にした「精神病院が見放した」(劇中のセリフ)住民の物語である「ミリオンダラー・ホテル」は、60年代の精神病院の女子棟の日々を描いた「17歳のカルテ」に当然、どこかしら相似していておののかされた。
しかし、前者はミラ・ジョヴォヴィッチであり、後者はアンジェリーナ・ジョリーウィノナ・ライダーときた。それはそれは。
そして、「17歳のカルテ」を観ているまさにそのときに、出演者のひとり、ブリタニー・マーフィが亡くなっていたというのをあとで知って、さらにおののかされることになる。
映画は、どちらも良かった。
ひとりでDVDばかり観る日々。個人的にはそれだけで何もなさない日々。
こんなんじゃいかん。
年末になるといつも少ーし、アセる。