WB

akrh2006-05-02

見かけないと思ったら、
早稲田文学会の「早稲田文学」ってとうとう「WB」というフリーペーパーになっちゃってたんだね。
「わ」からん「ブ」ンガク、「W」onderful「B」ungakuのイニシャルとか。
ワーナーブラザーズにあらず。
もはや早稲田の構内をはじめ、限られた場所でしか配付しないらしい。
06年1月発行の第2号の配付を開始しますと今になってもWebで言っているからには、相当に足腰が弱っているとお見受けするしかない(Webは眠っているが3号はどうも出たらしい)。
影響力もゼロに近かろう。
新日本文学」が解消し、「早稲田文学」もか。
しかし新日文は最後に鎌田慧を編集長に据え、散り際は潔かったように見えた。ワセ文は有料月刊誌からフリーペーパーとは、リクルートじゃあるまいし…。
紙に印刷して配付する人員と予算があるのなら、なぜWeb化しなかったのかと、不思議に思う。
そこは最後に見せた活字派の心意気というものか。
「夜よ、こんにちは」を観て痛烈に感じたことは、外界と隔絶して閉じた少数派路線を選択した者たちが、無知によって情勢を決定的に読み誤ったとき、破滅へと第一歩を踏み出すんだなあ、ということ。
ワセ文は過激派でもカルトでもないが、少数であることは閉じることを必ずしも意味しないのに、過てるリーダーシップによって、閉じて後ろ向きの議論になっちゃったのではないかと同情をもって想像してしまう。
金払って読む人がいない→タダなら受け取るだろうという文学の注入方式でいいのかと思う。
文学という停滞する芸術様式、活字という退廃するメディアのひとつのケーススタディとして、僕にとっても無縁とはいえない事象だったので、内情も実情も知らずに僭越だけどついがまんできずに書いた。
言いたいことは以上。きょうはこれで終わる。