夜の公園、か

akrh2009-10-30

川上弘美『夜の公園』読了。
解説に言うところでは、川上弘美は恋愛小説の妙手というか、恋愛小説家であると言わんばかりで。
センセイの鞄』が恋愛小説であるというのは今となってはそう思うしかないが、その他に恋愛小説ってあったっけと思うほど、恋愛小説家としてのイメージが僕にはないのであった。川上弘美にしては珍しい、官能恋愛ロマンだなあと思ったりしたのである。
いつも不思議な味わいというのが先行して、恋愛感情とか男女関係が読む者に迫ってくることはない(のではないかな)。
それはそれとして、『夜の公園』である。官能恋愛ロマンではあるものの、川上弘美であるからして、そこは無色透明に近い。他の小説家なら必ずや醸し出してしまうに違いないドロドロ感はない。そして、若い男のセリフははたして陳腐であった。
昔のことだけど、夜の公園で、猫の集会を見たことがある。
猫が集会を開くのか、と問わないでほしい。猫は集会を開くのだ。検索してみて下さい。けっこうあるよ。
演壇の一匹と、十数匹が扇状に対面する布陣で、猫の集会は執り行われていた。僕が通りかかり、おーと思って立ち止まると、猫たちはいっせいに振り向くのだが、解散して四散したりはしない。僕が立ち去ったあとも集会は粛々と執り行われたに違いない。
猫が集会を開くほどの議題とは何なのか。
それを知りたい。

ウルリッヒ・ミューエ再び

akrh2009-10-20

この度、図書館で「スパイ・ゾルゲ」(篠田正浩監督)を借りて観たところ、ミョーに気になるドイツ人役がいて、最後のクレジットで声をあげそうになった。
ウルリッヒ・ミューエ。またお前か。
このドイツの俳優が死んだときに反応してはてなダイアリーに書いたのは07年7月のことだったらしい。僕の場合、日付は必ずしも現実とシンクロしていないので意味はないが、さすがに命日より遡って死人に仕立てるようなことはない。
善き人のためのソナタ」を観て、死亡記事を見て、そして日本映画にも出ていたとことを死後2年経って発見したわけである。こんなにウルリッヒ・ミューエに反応する日本人も少ないのではないかな。
映画自体はスキがなく、抑えて作り込まれていて、3時間という長さを5分の3ぐらいにすればもっと良かったと思う。長かろうと短かろうと伝わるメッセージは同じだが、この映画、たいしてメッセージがない。スキがなく、抑えて作り込んであることに好感が持てる以上には好きにはならない。米国のシーンでは「星条旗よ永遠なれ」、ロシアでは「インターナショナル」、ドイツも国歌、菊の紋章に軍艦マーチが鳴るのでは、この大監督の映画の文法というものの御里が知れるというものである。
尾崎秀實を演じた本木雅弘も悪くなかったけど、ウルリッヒ・ミューエ(ゾルゲを演ったのではない)、なかなか良かったよ。「善き人のためのソナタ」では東独シュタージ(秘密警察)、今回はナチの独大使。全体主義の世に生きる、弱点をもった人、というのをやらせれば上手かった、のかも。

タイトルに負けた夜もあった

akrh2009-10-01

久々に、古本でなく新しい本を、しかもマンガを。
深夜食堂』1〜4。安倍夜郎小学館。タイトルにはくるものがある。
作者は、現時点でまだウィキペディアに項目も立っていないほど無名だが、作品の方は食堂モノなのでレシピ本は出るわ、深夜枠で小林薫主演のドラマにはなるわで、すでにひとり歩きしている。
1巻1時間ちょっとで読み終わる。
ちょうどいい短さで、次が読みたくなる。
そんなことで4巻まで一気に。
ドラマも見てますよぉ。でも小林薫以外のキャストは、豪華ではあるもののどこかぎこちない。なぜだろう。綾田俊樹とか不破万作とか、大好きな脇役なんだけど、さらにオダギリジョーすらチョイ役で出ているんだけど、どうも芝居の間が悪い。演出の問題なのかな。何人かの監督が交代で何話かを担当していると聞いたけど、監督同士がこの関係性はかなり緊張すると言っているほどなのが役者にも伝播したのか。
深みはない。顔に刀傷を持つマスターの過去もいずれは掘り下げられるのかもしれないが、今はどうもマンネリのサイクルに取り込まれてしまって意外な展開には打って出そうもない。それよりも、ほっこりしたエピソードを持つ新しい登場人物を増やす方にかまけている。
宿河原にも、深夜に常連が集まる小体な居酒屋があって何となく重ね合わせてしまう。
重ね合わせてしまいやすいのでつい重ね合わせてしまうが、ドラマは居酒屋の中で起こるとともに居酒屋の中では起こらない。
でも5巻が、待ち遠しい。

ひと事だけど心配になったこと

akrh2009-08-29

極端に質の低い飲食店が多いのが明大前という土地の特性で、安くて量があればそれでいいという人たちが住んだり働いたりしている。
ファミレスは水もスープも自分で持って来なければならないスタイルのガストしかない。だが2軒もある。
この土地で教育の対象となっている人たちはもっと閉じた学食というところで、塀の外よりさらに不味くて安いものを食している。量もふた皿分とか3皿分とか競うように多いだけで、喜んで食べている。
9月末になって学生が戻ってくると、ファーストフードも居酒屋も、サイレンを耳元で鳴らし続けたようにうるさくて入れない。
夏と春は、学生のいない平和な季節である。だけど明治大学というところは、「お休みの明治」と言われるほど休みがバカ長いので、塀の外の安穏もそれなりに長い。
前置きが長くなった。母校と地域の悪口を言いたかったのではないが、つい言ってしまった。本当のことなので、謝るつもりはない。
さて、
この街にも牛丼屋が一軒ある。吉野家ではない。
この牛丼屋で僕はカレーや豚丼を食すのだが、この店、ときどきご飯が足りないことがあり、サトウのご飯が常備されていると疑われる。両手にどっさりサトウのご飯が入ったスーパーの袋を抱えて店員が戻ってきて、それから大車輪でレンジでチンしてカレーや牛丼にして出しているのを見たのは、1回や2回ではない。カレーも牛丼もものすごいファーストフードだが、そういったわけで何の説明もないまま10分待たされるなんてことも、ないわけではないのである。
炊き忘れ? 炊飯器の不良? これで通るのも明大前だからだよなーと明大前ダメ論を信奉する僕としては思いを新たにしたわけである。

サヴィンコフ読み終わり

akrh2009-08-07

サヴィンコフ『テロリスト群像』上下巻読了。
僕の場合、読み終わった本は、「読み終わった本を積み重ねておく場所」に積み重ねる。それを時々整理して棚に収める。
思えばラテンアメリカ旅行に出かけるときには全蔵書を古本屋に叩き売った挙句、トラック代が赤字になったのだった。
今だとヤフオクがあるので、さすがに赤字にはなるまい。
サヴィンコフ(写真)って、再読することあるのかなあ。
再読の可能性のないものを積んでおくというのが、瞬間最大風速0冊を体験した身としては、われながらガテンがいかねえまま、ずるずると蔵書が増えている。
夏は暑いほどいいが、このところ涼しかったり、蒸すのに気温が低かったり。
何を思ったか、古本屋でふと手に取ってしまった阿川弘之米内光政』読み始め。

ライブに行く

akrh2009-08-02

前の週の話になるが、町田のCARBUNCLUSという、その名もアメリカン・バーのライブに行った。
Septeto tradicion。
キューバ音楽のソンをやるバンドで、客はごく少なかった。
キューバ人の友達に誘われたので行ったのである。
ボーカルの人が、今度キューバに行きますというので羨ましくなった。
ライブは軽めに終わったが、久しぶりなので話しこみ、ひとりは終電を逃して家は横浜なのに新百合ヶ丘に行くという。
僕は登戸まで帰ってきて、ひとりでもうすこーし飲んだ。
町田というところに初めて降りた。
下北沢に大きな道路を通すというのでみんなが反対する理由のひとつが、「町田みたいになってしまいます」というのだった。
調布とか町田みたいに、デパートとチェーンの飲食店ばかりの町になるのは(家賃は上がるし)いやだ、というのである。
そうなれば車でデパートに行き、家族で買い物と食事……。街での足が徒歩から車に転換するのだろうと思う。街のすべてが変わるのだろうと思う。調布や町田、もう少し高級なら二子玉川。車を持っていないと、けっこう間が持たない街だ。下北沢って完全に徒歩と自転車の街だから。
町田の、ライブハウスのある一角は、駅の裏側でけっこうやさぐれたエリアだった。表が明るいほど影は漆黒。これは法則である。
全般的に薄暗い方が、僕は好みだな。